ホシノエミコ プロフィール


1968年島根県生まれ。息子二人の子育て終了。

 

<住まいの変遷>

1986年まで島根県益田市 

1987年~ 広島市内家賃1万円の木造アパート

1991年~ 山口県岩国市。会社の寮

1993年~ 東京都武蔵野市風呂無し木造アパート

1997年~ さいたま市(旧浦和市)鉄骨アパート

1999年~現在 さいたま市(旧大宮市) 

 

二級建築士(東京都 第69997号)

薬剤師(第273006号)


【海の中に例えた少し長めの自己紹介】

 

 長年、浅い海に迷い込んだシーラカンスとして生きてきました。

 どこに行っても浮いた存在(深海魚なのに)。ようやく居場所を見つけたと思っても、今度は劣等感が自分を苦しめました。

 

 鯛やヒラメ、マグロや鰯のいる世界はキラキラとまぶしくて落ち着きません。でもその中で受け入れられなければ生きていけないと必死に頑張りました。

 

 でも上手くいきませんでした。逃げ出すことも多かったです。

 

 「みんな違って、みんないい」と、頭では思っていましたが、

 心の底では「みんな違って、みんな嫌い」でした。(当時は気づきませんでした)

 自分に似た人を探して安心しようとしましたが、そんな人はあまりいませんでした。

 憧れて鯛になろうとしたけど、なれませんでした。

 みんなとどう関わっていいのか、わかりませんでした。

 

 短い期間ではありましたが不登校や保健室登校も経験しましたし、子育て中にはうつ病にもなりました。(5年間の治療の後、寛解しています)

 

 その後も目の前のことを必死にこなした結果、こころの豊かさからは遠ざかり、53歳で病気になりました。幸い命に関わるものではなかったため、時間はたっぷりありました。

 

 シーラカンスは思いがけず、深いところに移ることに。

 生き物はあまり見えなくなったけれど、まぶしくなくて快適でした。こんなところがあるなんて知らなかった。来て良かったと思いました。

 

 シーラカンスはもっと深く移動しました。

 生き物はほとんど見えなくなりました。光もあまり入ってこなくて、ちょっと心細い。そこでゆっくりと暮らしながら(とはいえ焦ることももちろんありました)、

 

 自分が本当は何を望んでいるのか

 どんな暮らしをしたいのか

 置いてきた感情はないか

 望みを妨げるものは何か

 

 読んだり書いたりして探っていきました。

 そしてゆっくりと、快適な深さに戻っていったのです。

 

 もう浅い海に居続けなくていいと知りました。

 居る深さを、自分で選ぶことができる。

 

 少し深いところには仲間も居るし、遊びに来てくれる人もいました。

 その人達は、わたしをシーラカンスと知っても、フラットに付き合ってくれました。

 

 わたしはいつしかシーラカンスでいることに引け目を感じなくなっていました。

 鯛を装うこともやめましたし、マグロに気を遣う必要もなくなりました。

 

 苦しんだ日々にも、だからこそできることがあると思えてきました。

 みんな違ってみんな嫌いだったわたしは、はじめて思いました。

 

 「みんな違って、いいのかも」

 

 

 

 ※noteでもいろいろ書いています。こちらからどうぞ。